BACK NUMBER‎ > ‎Pilot‎ > ‎

No.09 ジャンルとしてのボカロ批評

Written by VOCALO CRITIQUE Vol.01 編集長 中村屋与太郎


向き/不向きで申し上げるならのならば、私は凡そ「批評」というものに不向きな人間である。曲がりなりにも“批評集”の編集長でありながら。

大学時代に大学生協の読書推進委員会長を拝任していたが、元来本を読むことが大の苦手であり、知りうる限り歴代委員の中で最も読書しなかった人間であった。無論、文字を書くことはそれ以上に苦手であった。どちらかと云えば私の役割は企画・運営やその他雑務面であった。しかし私が入った当時の読書推進委員会はそうした人材に欠けていた——もとい、当時はそもそも委員が2名しかいなかった。ロクな活動も出来ず廃止の危機に瀕していた。そのような状況であったから私が参加して編集体制の構築や運営体制の見直しを図った。その甲斐があってか、委員会は急速に活性化し、卒業する頃には20名まで委員が増えた。現在では首都圏有数の読書推進委員会となっているらしい。我ながら良く頑張ったと思う。

先日、当時の私を知っている人間にこう言われた。「卒業しても似たような事やってるな」と。

島袋八起氏とTwitter上で知り合ったのは全く偶然そのものだった(紙面の都合でその経緯に関しては省略する)。彼はボカロクラスタではなかったし、私は批評クラスタに全く縁がなかった。しかし、彼がやろうとしたボカロ批評集というアイディアには非常に興味が湧いた。「読んでみたい!」

彼は第十三回文学フリマまで残された僅か1週間の猶予で、手織りではあったもののボカロ批評集『ボカロクリティーク』を形にして見せた。世に僅か39部のみ放たれたこの冊子の1部は私の手元にあり、私にボカロ批評本をボカロクラスタにぶつけることを決意させた。『VOCALO CRITIQUE Vol.01』はそんな経緯で生まれている。

私は批評には無縁であったが、(素人レベルの)冊子編集などに関してはある程度自信があったことや、批評を書いてくれそうなボカロクラスタの知り合いがいたため、裏方の作業に徹することとした。原稿依頼・募集、発行計画、編集・校正作業、資金調達、広報、委託手続、宴会準備等々。とりあえず、批評を書くこと以外は全てやった(笑)。

後にある人からボカロ界隈でこうした裏方が必要とされながらも不足している点を指摘されたので、この立ち位置の選択はあながち間違いではなかった……らしい。

『VOCALO CRITIQUE Vol.01』は私の批評に対する無理解や紙面の問題を抱えていた上に、批評に無縁な執筆者の多さ、更には想定読者層がボカロクラスタであることもあって批評本になりきれていない面は否めない。一方で本誌こと元祖『ボカロクリティーク』は批評クラスタ寄りで、同じ名前を冠しておりながら2つの冊子の趣きは大きく異なっている。この2冊を同じサークルの下で別け隔てなく扱うのは、『VOCALO CRITIQUE Vol.01』を批評クラスタへ、元祖『ボカロクリティーク』をボカロクラスタに当てて、双方の反応を見てみたい、という思いがある。

ボカロ批評をジャンルとして捉えると、まだまだ未熟なジャンルである点は否めない。しかしながら、この“ボカロ”というカテゴリは音楽論、アイドル論、メディア論という様々な視点からの批評の余地を持っている。更にはVocaloidに時を同じくして表に出始めたUTAUや歌ってみた、踊ってみた等の派生ジャンルも含めれば膨大なムーブメントと言って差し支えないだろう。(本シリーズを"VOCALOID" CRITIQUEにしなかった理由は商標上の問題もさる事ながら、ヤマハのVocaloidのみを扱うつもりではない、という意思表示でもある。)それらの多種多様なムーブメントを批評として語り尽くされているかといえば、否であろう。各人がブログ等で批評をすることは有ったが、こうして冊子としてまとめられたことは過去に数える程しか例がない。イベントや委託通販を通じた『VOCALO CRITIQUE Vol.01』の頒布実績や頂いた反応からもまだまだ発展の余地のあるジャンルであると思える。

VOCALO CRITIQUEシリーズがジャンルとしてのボカロ批評発展の突破口になれば良いと思いながら、批評に全く向いていない男は批評本の編集作業に明け暮れている。
これからもどうぞVOCALO CRITIQUEをよろしくお願いします。
Ċ
CRITIQUE VOCALO,
2013/11/16 1:21